2011年 北海道ツーリング
このところ、例年行く場所が限定的になっておりましてというのも、前は北海道いったらとにかくひたすら走るに徹していたのですが、としなんでしょうか最近はピンポイントでじっくり遊ぶ又は何もしないのが好きになってしまったようで、とりあえず特定の場所に移動してはその界隈で遊ぶような形になってます。まぁ、ただ北海道へ行くのはまるで田舎に行くような感覚で1年に一度はいかないと気がすまないのは変わらず、北海道へ行くことが楽しみになってるような気がする。つまり、北海道の中で遊ぶのが楽しいというより北海道に行く過程が楽しいにかわってきてるような気がします。いって帰ってくるまでがツーリングですがその中でも自分的には外せないのが船のクルージングなんですね。船に乗らないと北海道に来たという感覚がわかないといいますかツーリングそのものも楽しいが、船にのるというのが楽しみの比重としてウェイトしめてきてるような気がします。
昨年は、運よく長期休暇とれたのでじっくり北海道いきましたが、今回はお盆とは別にお休みはとれたものの9日しかもらえなかったのでじっくりとというわけには行かず、あわただしくいってきました。9日といっても、前後3日は、船でとられてしますので、実質道内6日間というわけでそれでも、とれないよりかはましですかね。
1998年から北海道に毎年かかさず通っていますが、今回大変なイベントがありました。13年目にして北海道行きの船に乗り遅れるという前例の無いイベントに遭遇。丁度北海道に向かう船に乗るために7月30日の夜中に家を出て31日の朝方つくようなスケジュールで進行かけたのですが、前日ものすごい大荒れの天気で各地で豪雨による土砂災害が発生したりして、高速という高速が通行止めの嵐だったわけですが、今回往路は新潟から新日本海フェリーを使う予定になっていたのですが、いく段階では豪雨も収まり高速の通行止めも解除されていたため、自分の中ではセーフという気持ちだったのですが、いざ関越道で新潟に向かってみると、豪雨の爪あとが激しく、災害もさることながら、豪雨のあとの暖められた湿気で激しい濃霧に見舞われ、高速道路は全線50km規制。ヒェー まじすか。道が見えるなら規制なんてきにもしませんが、豪雨のあとの濃霧でまじめに道が見えなくて大変でした。都会から田舎へ移り変わる群馬ー新潟山間部あたりでものすごい濃霧に襲われ表示上50km規制になったのだが見え無すぎて50kmもだせませんでした。当然ながら、余裕を見て6時間で到着出来る行程でスケジュールしてましたんで時間的にかなりおしてしまい、濃霧のせいでギリギリになってしまい残り1.5時間ってとこで、ようやく関越トンネル抜けました。トンネル抜けるとうそのように晴れていてそっからは覆面とかまったくきにせず爆走しましたわ。
で、残り10分ってところで、新潟港に到着して、おー船いたいたセーフでしょうって思ったんですが、受付いったら、アウトでした。甲板もうあげちゃったので乗船できませんって話で、えぇーー まじすか。船目の前にいるのにー。まぁ確かに、乗船は30分まえまでにとはかかれているが、昨年も似たようなケースで、15分前でのせてもらってる記憶があったので、昨年の話を持ち出してねじ込もうとしたのだが、全くとりあってもらえなかった。
厳しすぎる。泣きまね作戦もやってみたが、受付のお局さんはガンとしてうけつけてくれず。いやーこまった。
途方にくれてると、乗船はまにあいませんでしたが、乗船券は明日にスライドできますので、手続きしますかときをきかしてくれた。乗るつもりだったので、のれなかった事をかんがえていなかったので近くのビジホを紹介してもらい、まだ朝の10:30だというのに、今日は新潟港付近のビジホで一夜をあかすことになった。
こんなこともあるのですね。初めて乗れなかった事で挫折を味わいました。こんなことなら、30分前に途中で電話いれて、絶対にいきますから、10分まっててくれと電話すりゃーよかった。(あとで知ったのだが実はこの事前連絡は有効らしくまっててくれるらしいね)いやー今回大失敗でした。
全く知らない新潟の港町で1日無駄にすごすことになり、ビジホにチェックインすることになったが、15:00チェックインだったが、なんも予定がないので、ビジホの門前でホームレスのようにフテ寝してしまいましたわ。今考えると大人気ない行動をとってしまった気がします。
この1日が長かった。なといっても普通の田舎町で温泉があるわけでもなくごく普通の町並みがひろがってるだけでなんとつまらないまちだこと。この旅の為に携帯電話をスマホにリフレッシュしたので早速町のうまいもの探しをして食べ歩きしてみようかと思ったが、新潟駅周辺はそれなりにあるが、この港町にはなんもねぇ。ほんとホームタウンなんだな全く持ってここにとまる理由がなんもねぇ町に1日でご馳走様。
ようやく次の日になり、このつまらん町ともおさらばしまして、無事乗船しました。
この旅でまずヤリタイと思っていたことを早速やってみた。それは大好きなコーヒーを豆から挽いて飲むことこれをやりたくてキャンプ用品にコーヒー用具一式をもってきたわけなのだが旅先の
気に入った場所で飲むコーヒーはおいしいが、豆から挽いたコーヒーは香りも高くもっとおいしい。なので船にのってまずやったことは、甲板にあがってコーヒをいれたのだ。携帯ミルに、スターバックスの豆をいれて中挽きでガリガリガリと豆をひいてサーモスの水筒にいれてきた浄水の熱湯をペーパードリップする。サイコウ。
船の景色はこんなかんじだった。とにかく青空。やっぱこうじゃなくちゃ。
やっぱ、おっきい船っていいね。大好き。
このなんもしない時間が好きだな。移動している間の自分だけの時間が結構好きですねぇ。
船上ではかなーりまったりしてました。売店にあるご当地スイーツというスイーツをガンガンたべまくったよ。
これといった特別なものはなかったがプリン関係は大凡制覇したね。
そんなかんじで小樽とうちゃく
そういえば、小樽って自分の生涯の中で北海道って全く無縁なんだけど、うちの家系のひーひー爺さんはこの小樽に住んでいたようでしかも商売していたみたい。製餡業を営んでいたらしい。丁度この記事を書いているときにうちの倉庫を整理していたら、明治時代の古文書が出てきて、うちの苗字の○○に製餡所という屋号がくっついた名刺らしきものが出てきた。他にも北海道の役人に提出した戸籍みたいなものまで出てきてどこら辺にすんでいたのか克明にわかった。ひー爺さんや、その兄弟などすべて北海道出身というのがわかった。古文書が出てくるまでは北海道と無縁とばかりおもっていたのだが、だんだんうちの家系が見えてきたな。古文書にはロシア戦の時の召集の紙みたいのもあったな。小樽、紋別、倶知安、函館、札幌すげーな。ってーことは、オイラが毎年毎年行きたくなるのは、隔世遺伝か何かかなぁ無意識下の先祖参りとか?まさかねぇ。
話を戻しまして、今回来る上でどうしても確認しておきたかった事案があったのですが、それは過去に彼女さんとキャンプして非常に感慨深い経験となったキャンプ場があったのですが、夕張市にあったそのキャンプ場は夕張が破産した時に犠牲になったとされる丁未風致大草原キャンプ場っていうんですが、そこは今はキャンプイ場としては運営されていないという記事をみたのだが、あまりにも、”現在は?”という記事が少なく過去の記事しかネットではでてこないかったので、どーしても”今はどうなの?”がしりたかったので調査にいきたいと考えていました。そこで、まず真っ先にここにいきましたよ。MOV_9685.mp4(157MB)
そのキャンプ場なんだが、丁度位置的に、メロンの城のうえあたりに位置するんだけど道的には夕張岩見沢線っていう道なんだが、丁未の、公園から先が通行止めで現在通りぬけが出来ないからそんなとここのんでいく人もいませんわね。でも、今回自分の目的がその丁未にあるので、ギリギリ確認は出来そうでしたので通行止めの場所まで行ってみた。行ってみて驚いたのは、休園しているはずの丁未風致公園がどういうわけか、ちゃんと芝生は刈り取られちゃんとメンテナンスされているんですよね。夕張が破産したからさぞ酷いことになってるのかとおもったのだけど、拍子抜けしちゃいました。だれもいなくて、休園の看板はあるけれどメンテナンスされているならゲリラキャンプもできそうじゃんっておもった。しかしだ、この辺はモロ熊の出没地帯でしかも、通行止めだから人なんか絶対来ない場所。キャンプして何かおきてもだれも助けにはこないでしょうね。そういう点からキャ